2010年代の台湾留学を振り返る

2008年9月に米国有数の投資銀行である「リーマンブラザーズ」が経営破綻。それをきっかけに世界的に株価が下落して金融危機が発生した。

その頃の筆者は、経済不況を横目にしながら、ひたすら目の前のIT関係の仕事に打ち込む日々であった。

それから数年が経って今度は2011年3月に東日本大震災が発生した。
東京・大手町の高層ビルの上層階は大きく揺れた。

その日は午前中に、当時勤務していた会社で退職願を提出し面談を終えたばかりだった。

それから数か月ほど後に台湾に渡航。
台北にある台湾大学近くの語学学校に通いながら、標準中国語を学んだ。

ちなみに筆者は大学時代から中国語の学習を継続しており、中国語水準は一定のレベルに達していたが、中国語を仕事で使える状態にすることで、影響力を高めつつある中華圏でのビジネス機会の拡大とともに自らも成長できるだろうと目論んでのことであった。

皆気になるのがビザの問題である。
筆者自身はワーキングホリデービザを使用したが、結局半年間に渡る滞在期間において働く機会を得ることはなかった。今であれば、台湾にいながらオンラインで日本の仕事をしたり、現地でギグワークを見つけたりすることも容易だろうと思うが、当時はそのような環境ではなかった。

住む場所は、台湾人の知人がいたため探す手伝いをしてもらったが、外国人にとって住居を確保することは不動産屋との手続きや保証の話など相当の労力が必要だと思う。
今なら筆者も中国語で直接交渉できるが、当時の中国語力では困難であったためその知人には今でも感謝している。

台北での生活は、働いて貯めた貯金を切り崩す日々であったがとても充実していた。
中国語を学ぶとともに友人作りのために一時期通った現地の英語学校では、台湾人女性と知り合い、その妹さんが台湾大学で日本語を専攻しているとのことであったため、いわゆる言語交換を数か月させてもらうことができたので飛躍的に会話の機会を増やすことができた。

台湾は士林夜市に代表されるような屋台が町中にあり、食文化は多いに楽しむことができた。当時もそうだが、今の台湾には世界的にも一流の半導体を始めとした強い産業があるので、一人あたりGDPは日本を超えるまでになっている。物価自体はまだある程度日本よりも安く親日な人も多いので、日本人が留学する上ではお勧めの場所である。


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